Key Points
- オーストラリア戦争は、「テラ・ヌリアス」宣言が法的に争われ、覆されてから認めらるようになった
- オーストラリア戦争は、1788年にファーストフリートが到着してから1930年代半ばまで、大陸全域で戦われていた
- 植民地時代の記録や、専門家チームによって発掘された考古学的証拠は、この戦争の凄まじい規模を物語っている
この記事とポッドキャストエピソードには、苦痛を感じる可能性のある暴力的な表現が含まれています。ご注意ください。
しかしこの大陸には実際、アボリジナルやトレス海峡諸島民の何百もの異なるネイションや部族、つまり何十万人もの先住民が住んでおり、彼らは即座にイギリス臣民となったのです。
氏は、ヨーロッパのヘリテージを持つ、アランダとカルカドゥーン族の女性です。パーキンス氏は2022年に、イギリスの入植者から土地を守る、先住民の闘争を詳しく描いたテレビシリーズ、『ザ・オーストラリアン・ウォー』を発表しました。
これらはオーストラリアで戦われた戦争であり、現代のオーストラリア国家を作り上げた戦争でもあります。映画監督・レイチェル・パーキンス
は、ファーストフリートが到着した1788年から1930年代半ばまで、オーストラリア大陸全域で戦われていましたが、20世紀後半になるまで、これらの紛争は学校で教えられることもなく、戦争として認識されることすらありませんでした。
は、オーストラリアで最も尊敬されている歴史家の一人であり、戦争の専門家です。教授が歴史を教え始めた1966年当時、歴史の教科書にアボリジナルに関する記述はほとんどなかったと言います。
「アボリジナルについては2度、簡単に触れられただけで、索引にも記載がありませんでした。」
それは、フロンティア戦争がゲリラ戦のようなもので、20世紀半ばは、本格的な戦争と認識されていなかったからだと、レイノルズ教授は説明します。
「戦争の重みがあると考えるには、あまりにも小規模で、散在でした。軍服もなく、行軍する兵士もいません...古典的な意味での大規模な陣形や戦闘はありませんでしたが、それは明らかに戦争の一形態でした。」
「当時は戦争として認識されていましたし、植民地時代の文書にはすべて戦争と書かれていました。しかし、20世紀、21世紀になって、私たちはそれを見失ってしまったのです。また、多くの人が戦争と認識できない根本的な政治的理由もあると思います。」
こうした政治的な理由に挙げられるのが、「テラ・ヌリアス」宣言とイギリスの法律の間にある法的矛盾です。
パーキンス氏によると、アボリジナルの人々が王室の臣民と宣言されたため、帝国は公式に宣戦布告をすることができなかったと言います。なぜなら、それは自国民に戦争を宣言することになるからです。
しかし、イギリスは大陸の占領を確実に成功させるために軍事力を行使したと、パーキンス氏は付け加えます。
Frontier conflicts took place across the nation. Source: Supplied / Australian War Memorial Source: Supplied
マボ判決と「テラ・ヌリアス」の覆滅
オーストラリア戦争が認められるようになったのは、1990年代初頭に「テラ・ヌリアス」の宣言が法的に争われ、画期的な判決として知られるマボ判決で覆されてからです。
「それまで、アボリジナルの人々は土地を所有していない、土地の法的所有権がないと考えられていたため、戦闘は土地の支配をめぐるものではない、という見解でした。1992年の判決以降、領土の支配という戦争の性質は変化せざるを得なくなったのです。」とレイノルズ教授は説明します。
クレメンツ博士は、イギリス帝国がオーストラリアにおける先住民の土地の所有権を認めなかったことは、歴史的に異常なことであったと付け加えます。
「イギリスによるオーストラリア植民地化の核心には、欠陥のある根拠がありました。イギリスが占領した他の国々とは異なり、オーストラリアの先住民の主権を認めませんでした。そのため、条約がなく、地元の人々との交渉の試みもありませんでした。今日に至るまで、我々は法的観点から彼らの土地に対する権利を理解するのに苦労しています。」
そしてその交渉のなさが、残忍な戦いを引き起こしたのです。
植民地時代の記録や、専門家チームによって発掘された考古学的証拠は、紛争の恐るべき規模を示しています。
パーキンズ氏は、生き残った人々の子孫は、この歴史を忘れることはないだろうと説明します。
多くのアボリジナルの人々が、歴史を運ぶ船となり、自分たちや家族に起こったことを語り次いで来ました。ですから私はクイーンズランド州で起きた虐殺、曾祖母が受けた強姦などについて聞きながら育ちました映画監督・レイチェル・パーキンス
Rachel Perkins - The Australian Wars Credit: Dylan River/Blackfella Films
ザ・ブラック・ウォー
パーキンズ氏によると、ブラックウォーでは、ピースキーピングミッションで亡くなった韓国人、マレーシア人、インドネシア人、ベトナム人の数を合わせたよりも多くのタスマニア人が殺されたと言います。
クレメンツ博士によると、双方からの暴力は驚異的なものでした。
「アボリジナルの人々の抵抗は衝撃的でした。農場を焼き払われたアボリジナルに殺傷または刺傷された人を、当時誰もが知っていました。それは本当に恐ろしいことでした」
実際、真面目な人たちは植民地を放棄することも考えていました歴史学者、ニコラス・クレメンツ博士
最終的に、タスマニアの先住民は入植者によってほぼ全滅させられました。
そして紛争は性的暴力によって激化しました。
暴力の引き金、火種となったのは性的暴力であったと、クレメンツ博士は付け加えます。
アボリジナル女性に対する組織的なレイプや誘拐は非常に一般的であったため、歴史家の中には特定のネイションが存続できたのは、性的暴行によるものであったと述べる人もいます。
「今日、タスマニアにアボリジナルの子孫がいることは奇跡的なことなんです。彼らは暴力によってほぼ完全に一掃されたのです」
Eddie Mabo with his legal team. Source: SBS Credit: National Museum of Australia
火で火を消す
オーストラリア各地でアボリジナルの人々の抵抗を鎮圧するため、植民地主義者たちは訓練を受けた準軍事組織であるネイティブ・ポリス(先住民警察)を創設し、恐怖を植え付けました。
「先住民の兵士を集め、軍事力として利用したのです。これがアボリジナルの抵抗を打ち破る大きな力となったことは間違いありません」とレイノルズ教授。
ネイティブ・ポリスは制服や銃、馬を与えられたと言いますが、クレメンツ博士は、彼らが白人将校に操られ、伝統的な知識やブッシュの技術を利用されたと考えています。
「クイーンズランド州だけでも、ネイティブ・ポリスによる犠牲者は数万人にのぼるとされています。推定では6万人とも8万人とも言われており、驚くべき数です。これは植民地主義者が行ってきた行為に道徳的な疑問を投げかけるものです」
A nineteenth century engraving of an aboriginal camp - Marmocchi Source: Getty Source: Getty
「私は、祖母が、母親の家族が虐殺されたことについて話している録音を見つけたのですが、それはそれまで聞いたこともなく、それが起こった場所に行ったこともなく、ドキュメンタリー・シリーズを作るまで、それがどこで起こったのか、本当のところは知りませんでした。」
先祖が入植者であるクレメンツ博士は、オーストラリアのすべて人が恥の感情を克服し、過去の不正義に光を当てる必要があると信じています。
「誰かの先祖が関係していようといまいと、私たちは皆、盗まれた土地であるアボリジナルの土地を受け継ぐ者です。少なくとも、私たちは皆、この歴史を明らかにし、受け入れ、前向きな未来のために役割を果たす必要があるのです。」
Nowhere was resistance to white colonisers greater than from Tasmanian Aboriginal people, but within a generation only a few had survived the Black War. Source: The Conversation / Robert Dowling/National Gallery of Victoria via The Conversation Source: The Conversation / Robert Dowling/National Gallery of Victoria via The Conversation
なぜこの歴史が記念されないのか
オーストラリアは多くのメモリアルで、戦没者を称える国です。だからこそフロンティア戦争が実際に起きたこと、人道に対する犯罪が頻繁に行われていたことをはっきりと認識する必要があると、レイノルズ教授は言います。
「どうしてオーストラリアの戦争を受け入れることができないのでしょうか?」
「アメリカでは、(アメリカ先住民との)紛争はすべて戦争として公式に認められています。またマオリの戦争は常に歴史の中で非常に重要な位置を占めてきました。」
パーキンズ氏は、この異常事態の理由は単純であると言います。
「オーストラリアは、植民者が立ち去らなかった世界でも珍しい場所のひとつなのです」。
植民地主義者たち、あるいは彼らとともにやってきた入植者たちは権力を持ち続けています。彼らが立ち去らなかったため、国を守った人たちを認めたり、称えたりするのは少し難しくなるのです映画監督・レイチェル・パーキンス
クレメンツ博士は、オーストラリアの戦没兵士を称える際によく使われる 「lest we forget 」という言葉を、イギリスによる占領と戦った者にも使用すべきだと考えています。
「国が勇気をもって自らの過去を、先人たちの過ちを認め、将来にわたってこの過ちを正すことを約束すれば、私はもっと誇らしい気持ちになるでしょう。子供たちには、記念碑であれ、二重命名であれ、アボリジナルの人々がそこに存在し、認められるような環境で育ってほしいと思います」
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