長崎の原爆では奇跡的に、オーストラリア人捕虜24人が生き延びました。彼らの名前はこのほど、アマチュア歴史家であるアンドリュー・カーター氏の働き掛けで、長崎市にある国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に登録されています。
また、日本が占領下にあった1945年の8月、オーストラリア人ジャーナリスト、ウィルフレッド・バーチェット氏が、報道規制をくぐり抜けて広島に入り、その被害のすさまじさを目にしました。
バーチェット氏はその被害の大きさや放射線の恐ろしさを伝えた記事「The Atomic Plague(原子の伝染病)」を書き、英紙デイリー・エクスプレスに掲載されています。