香川県出身、西オーストラリア在住の「サンシ」こと三枝芳隆さんが、オーストラリア先住民の楽器、ディジュリドゥに出会ったのは1997年。
ディジュリドゥの音色を初めて聴いたのがラジオで、その音が自然によって形成された楽器から奏でられていることに大変驚いたと言います。
シロアリが長い月日をかけて空洞にしたユーカリの木からなるディジュリドゥ。一見アボリジニ語に聞こえるこの呼名は、オーストラリアに入植した白人が、その音色から命名したものであり、先住民の間では、主に「イダキ」と呼ばれています。
ディジュリドゥの世界に魅了されたサンシさんは、2013年、この楽器が誕生した土地と言われるオーストラリア北部のアーネムランドへ足を運び、イダキマスターと呼ばれるヨォルゴ族、ガルプクランの族長、ジャルー・グルウィウィさんを訪問しました。「どうやって音を出しているんだろう」という率直な思いから、「生でみたい」と現地を訪れたサンシさんは、そこでグルウィウィさんの家族に歓迎され、アボリジニネーム、マララ・ユヌピングを授かりました。
One of Sanshi's treasured Yidaki, made together with the Gurruwiwi family during his visit to Arnhem Land Source: Sanshi
「今日から私があなたのお母さんよ」とアボリジニの女性に伝えられたさいは非常に驚いたという一方で、家族関係がとても重要であるヨォルゴ族から名前を授かるというその意味の深さに感動したと言います。
ジャルー・グルウィウィさんの息子に当たる、ラリー・グルウィウィさんはSBS日本語放送の取材に対して、「この聖なる土地、アーネムランドに足を運び、文化を学ぼうとする人、この土地を感じようとしてくれる人は、肌の色関係なく、みんなウェルカム。それが父の教えである。アボリジニの文化は今も生きていて、繋がっている」「我々は常に知識と知恵を共用する」と答えてくれました。
サンシさんは、和太鼓とのコラボから、多国籍バンド、さらにはエレクトロニカビートメーカーなど、幅広いジャンルのミュージシャンとコラボレーションを行い、ディジュリドゥの可能性を最大限に感じてきました。また東日本大震災が発生した際には、パース福島の会の一員として、チャリティコンサートなどにも積極的に参加。
Collaboration with Japanese taiko drums Source: Julius Pang Photography
Collaboration with music producer, Byron Keno, Planet Aligned Source: Sanshi
「他の人の力になれるということは、自分の音楽に新たな意味をもたせられる」と活動を通して気づいたと語ります。
この継続的に行われてきたチャリティ活動のお礼の意味も込めて、昨年、パースに1本のディジュリドゥが福島の会津大学短期大学部から届けれました。それは日本の伝統工芸でもある漆で装飾されたディジュリドゥで、当時大規模なブッシュファイヤーに見舞われていたオーストラリアに対する祈りの気持ちも込められたものでした。
「パースと福島の友好関係を形づけた、嬉しいディジュリドゥです」今年のパース・ジャパン・フェスティバルで実際にこのディジュリドゥを演奏されたサンシさんは、漆で外側を固めたディジュリドゥは、空気の漏れも少なく、また厚くなった壁により、より音がきらびやかになったと言います。
Sanshi playing the Urushi-Yidaki at Japan Festival, Perth Source: Julius Pang Photography
アボリジニの伝統文化に対するリスペクトを忘れずに、日本人にしかできない表現、そして日本の音楽を今度も探究していきたいと語るサンシさん。今後も彼の幅広い活動に注目です。
LISTEN TO
多ジャンルで活躍するディジュリドゥ奏者 サンシさん
SBS Japanese
04/05/202111:29
火木土の夜10時はおやすみ前にSBSの日本語ラジオ!