東日本大震災の津波により壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町。一瞬にして市街地を飲み込み、831人の命を奪った、あの巨大津波からまもなく10年。
南三陸町では被災経験を語り継ぐ「語り部」という活動が、震災後から各地で盛んに行われてきました。
被災地を歩いて回る「まちあるき語り部」やバスで回る「語り部バス」、そしてコロナ禍の昨年はオンラインでの語り部など、その形はさまざま。しかし語り部の方々はみな、震災の風化を防ぎたい、そしてこのような悲劇を二度と繰り返さないでほしい、という同じ思いでこの活動を行ってきました。東北福祉大学、健康科学部医療経営管理学科の渡部芳彦教授は、震災直後から1年間、津波被災地における高齢者の研究を行ってきました。アンケートやインタビューを行い、現地の様子を伺う中、研究終了後もなにか続けたいと、語り部活動を行うグループ「福話会(ふぐわらい)」を組織化。支援しつつ、調査を行ってきました。
"Kataribe" or story teller, Emiko Chiba speaks about her tsunami experiences Source: Yoshihiko Watanabe
「福話会」の代表である宮川るみさんは、「自分の命は自分で守るということを一番に」、語り部バスの活動を行ってると言います。「私は自宅も職場も社長も、津波に飲みこまれてしまい、一瞬にして失ってしまいました。地震から津波到達までわずか40分程度だっと思います。私は日頃からお姑さんに『津波てんでんこ』と言う話を聞いていたので、家族はみんなバラバラの避難所を決めていて、命は各自で守ると家族間でも確認していました。そのお陰もあり、私は自分の足で高台に上がり、いつもの避難所で助かることができました。もちろん家族もてんでんこで助かりました。車で逃げていたら渋滞に巻き込まれ、助からなかったと思います」
Leader of the kataribe group, Rumi Miyakawa (right) with Emiko Chiba (left) Source: Yoshihiko Watanabe
福話会では語り部の活動の他に、被災者の手記を集めた『震災の記憶』の編集にも携わってきました。壮絶な津波を経験した30人の当事者のストーリーには、二度と同じ経験を繰り返してほしくないという思いから、後世に教訓として綴られいます。4階まで津波が押し寄せた志津川病院で、ベッドごと流されてしまった患者を目の当たりにした記憶から、 多くの人が助かった高野会館の記憶など、「経験した人の言葉というのは重みがあり、伝わってくるものが大きい」と教授は語ります。
Collection of stories of tsunami survivors Source: Yoshihiko Watanabe
「命を守るための行動として大切な要素がいっぱいあるんです」
コロナパンデミック以前は、海外から南三陸町を訪れる方も増え、他言語に対応できる語り部活動についても話し合われてきました。
その一方で、スマトラ沖地震やアメリカのハリケーン・カトリーナ、ニュージーランドのカンタベリー地震など、各国で起きた災害についても、どのように記憶が記録され、シェアされてきたか、ということも学んできたと言います。
震災から10年が経ち、復興作業が進む中、南三陸町を訪れる方は当時の状況を目の当たりにすることはできませんが、語り部の方たちは当時の写真を見せながら、現在も自らの辛い経験を伝え続けています。
「伝えていかないといけない使命感」があると語る教授は、たとえ現在の語り部が高齢化しても、次の世代が引き継ぎ、今後も伝えられ続けることを望んでいます。
"Tsunami Tendenko", an idiom known in the region, that urge people to escape separately to higher ground Source: Memories of Earthquake Disaster /Yoshiko Watanabe
JCSレインボープロジェクトは3月11日の木曜日、午後4時から9時まで、シティのNSW Teachers Federationでを行います。会場に行くことができない方は、されます。後日の視聴も可能です。
火木土の夜10時はおやすみ前にSBSの日本語ラジオ!